雲霧仁左衛門豆知識~仁左衛門の戦術、火付盗賊改方とは、火盗改メの武装

仁左衛門の戦術

雲霧一味の戦術については、小頭の吉五郎がわかりやすく語ってくれています。

 奉行所や盗賊改メは、私たちの敵だ。敵だが、血を流して争いたくはねえ。
 そのためにはこちらがあいてのうごきをしかと確かめておかねばならぬ。
 敵の動き、敵の考えを知っていれば、すこしも恐ろしいことはねえのだ。
 こっちは敵の出て来る端をひょいひょいとかわしてしまえばいいのだからな。

この言葉の最初の一行は、戦術というより信念なのでしょう。
盗めの三箇条にもあります「殺生せぬこと」。
しかしこれを守ることで、一味には昔気質の、
能力がありしかも信頼できる盗賊が集まりやすくなって
雲霧軍団全体の戦力はアップしていくことになります。
「畜生働き」をしていたのではそれなりの人材しか集まらないでしょう。

ただし、やるべきときは躊躇なくやるようです。
さすがに堅気の人間の命は奪いませんが、
相手が、盗賊改方や別の盗賊団であれば。

二行目から三行目を見ると、いかに情報を重視しているかがわかります。
多様な情報源を駆使して、一味の者や競合盗賊団の動き、
そして標的となる相手の実情や、役人たちの動きを徹底的に調べます。
その情報に基づいて仁左衛門は一味の役割分担と行動を決めていきます。

非常に精密な作業ですね。
それだけにちょっとしたほころびが、崩壊につながりかねません。

 私たちのお盗めには、すこしの落ち度も許されないのだ。
 ほんの些細な落ち度が取り返しのつかぬことになる。
 私はね、吉五郎どん。この道へ入った最初から、そのこころがけでやってきた。
 なればこそ今まで、二十年もの間、ただの一度もお上の御縄にかかったことがない。

そういうことですから、情報の収集分析だけでなく、管理に関しても気を使います。
組織の最下層のメンバーには、ほんの些細な情報しか持たせません。
捕まって、拷問を受けてもその程度の情報しか吐かずに済むわけです。
裏切ったとしてもその程度の情報が漏れるにとどまります。
中には盗賊の仕事とは夢にも思わず働いている人も多いはずです。

上に行くほど、信頼できる人間ほど、多くの情報を持たされます。
それでも、吉五郎やお千代でさえ盗めの正確な日時を
ぎりぎりまで知らされなかったりしますので、徹底していますね。

計画には何年も費やしたりするのですが、
いざ行動に移すとなると素早いのが仁左衛門の特徴です。
特に危険を察した場合の行動は速い。
盗賊改方が情報をつかんだころには
すでにその情報は古いものになってしまっているという有様です。

計画も行動も精密さを要求される雲霧一味のお盗めですので、
一部のメンバーのちょっとした失敗によって追い詰められていきます。

そのめったにない、ちょっとした失敗を手がかりに、
盗賊改方は雲霧一味を追わねばなりません。
だから、何度も何度もつかみかけては逃すことになりますが、
その過程で「追いかけ方」を学んでいくことになります。
最後は、雲霧一味から得られたちょっとした手がかりを、
粘り強く、しかも仁左衛門に悟られることがないよう細心の注意を払いつつ
手繰っていって、雲霧一味を追い詰めていきます。

火付盗賊改方とは

「ひつけとうぞくあらためかた」と読みます。
振袖火事として有名な明暦の大火以後、盗賊や火付が増えたということで、
段階的に整備されていったようです。
まずは明暦の大火のあった徳川家綱の治世に、盗賊改、火付改が創設されます。
さらに次の五代将軍、犬公方綱吉のころ博打改ができます。
そうしてこの3つが八代吉宗のころに統合されて、
「火付盗賊改方」となります。できた数年後に博打改のみは町奉行の管轄になり、
火付盗賊改方はその名前の通りの犯罪を取り締まることになります。

町奉行所は、あくまで文官の組織であるため、
武装強盗を相手にする場合は手に余ることがままありました。
そこで、武官による組織として改方が作られたということです。
火付盗賊改方は、幕府の常備軍である「御先手組」から選ばれることからも
それがわかりますね。

池波正太郎さんの小説では次のように説明されています。

 悪党どもへ対し、いささかの容赦もなく、めんどうな法規や手続きにはかまわず、
 その場その場で、長官が適切な処置を取ってよい。

実際にその捜査の仕方は厳しかったようで、相手構わず捕縛した模様。
それで安部式部と違って嫌われる者も多かったそうです。
幕府から手当てが満足にもらえないとなると、
不正を働く火付盗賊改メがいても不思議ではありませんね。

さて、火付盗賊改方の戦力についてはこう書かれています。

 与力が5人から10人。同心が30人。そのほか密偵、目明し。金がかかる。
 3年前の享保4年にようやく40人扶持の役料が支給されることになったが
 とても足りるものではない。

凶悪犯を取り締まるにしてはちょっと人数が足りない気もします。
実際雲霧一味との決戦の折には、他の御先手組から人を借りていましたね。

ちなみに、火付盗賊改方として、安部式部より有名な長谷川平蔵ですが、
彼は安部よりも七十年ほど後輩です。

安部式部が享保の改革でおなじみ徳川吉宗のころ、
長谷川平蔵が寛政の改革でおなじみ松平定信のころ
と憶えておくとわかりやすいです。

火盗改メの武装

火付盗賊改方は、雲霧一味との決戦の折に、次のような装備で臨んでいます。

 長十手、鎖棒、捕縄、御用提灯、がん灯、梯子、突棒、刺股、高張提灯

このうち、御用提灯・高張提灯・がん灯は照明器具ですね。
御用提灯は時代劇でよく見る「御用」と書いてある提灯で、
高張提灯はそれを高く掲げるもの、
がん灯は蝋燭を使ったサーチライトのようなものです。

長十手というのは十手なんですけど、普通の長さ30センチくらいの十手の
倍以上のあったようです。
これで思い切り殴ると兜が割れるほどの威力があったらしい。
十手というより金棒ですね。まさに鬼平に金棒。

鎖棒。棒の先端に鎖が付いていて鎖の先に分銅が付いているという武器のようですね。
西洋で言うところのモーニングスターやフレイルにあたるものでしょう。
こういう武器は動きが予測しづらいので、防御側にとっては嫌な武器です。

捕縄と梯子は、説明は要りませんね。
・・・と思ったのですが、梯子って、高いところに上るだけじゃなく、
犯罪者を押さえつけるのにも使えたのですねぇ。

突棒(つくぼう)・刺股(さすまた)。
この2つに袖搦(そでがらみ)をあわせて三道具(みつどうぐ)と言いました。
犯罪者を制圧するための道具です。
突棒は棒の先端が丁字型になっていて、更にとげが付いています。
これで相手の足を引っ掛けて転ばせたり、押さえつけたりします。
刺股も用途は似たようなものですが、棒の先がU字型になっています。
この部分で相手の首などを押さえつけるわけですね。

以上のように、火付盗賊改方の装備は、
相手を殺傷しないように工夫されたものとなっていますが、
いざとなれば斬ることも厭わなかったようです。
例えば盗賊団の数が多すぎて取り押さえきれない時などですね。

盗人宿と隠密宿

雲霧仁左衛門は、盗賊団のアジトとして各地に盗人宿をおき、
信頼できる手下を店の主人として置いています。
たとえば王子のとしま屋、浅草橋の佐原屋、千住の信濃屋などがあります。

一味の面々はここで休んだり、食事を取ったりするのはもちろんのこと、
情報を伝えたり受け取ったり、お金や物資の受け渡しなども行われます。
そして一味の者が集まって、打ち合わせ、出撃、ということもあるようです。
盗人宿に似たものに「つなぎ」というのがありますが、
これにも商店や宿が利用されます。
ただし利用目的は情報の受け渡しに限られますね。

盗人宿は水滸伝の梁山泊みたいに固定的なアジトではなく、
危なくなればすぐに他人に売り払われてしまうものです。
それで盗人宿は転々と変わってしまうのでありまして、
盗賊改方から見ればなかなか雲霧一味を捕捉できないということになります。
ただ、危険がなければ何年でも同じ場所にあって近隣との関係を強め、
一帯の情報を集めやすくまた怪しまれにくくすることもできます。

さて、盗賊団が秘密のアジトを持つのは当たり前ですけど、
幕府のほうも似たようなものを持っているのですね。
隠密宿と呼ばれます。

 隠密宿の主人は、ときによって二代三代にわたり、
 その土地の、その町の住人になりきって生活をしている。

関口雄介はこれを聞いた時、高瀬俵太郎から聞かされた盗人宿の話を思い出し、
幕府も盗賊も同じようなことをしていると思い至って苦笑します。
隠密宿のほうもその働きぶりは徹底していまして、
関口や鈴木又七郎に踏み込まれて隠密宿だということがばれたと知るや、
隠密井上助右衛門の妻は家に火を放ち、自分もろとも灰燼に帰してしまいます。
権力が関わっている分、盗人宿よりも悲惨な最期になってしまったようです。

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