法華経は法句経に比べれば新しい経典です。
それでも成立は紀元前といわれています。
元の名前は「サッダルマプンダリーカスートラ」といいまして、
この中国語訳が「法華経」です。
クマラジーヴァが5世紀に訳した「妙法蓮華経」が有名です。
短い詩が並んだ法句経と違って、
法華経は内容的にも表現的にも文学作品のような出来栄えです。
お釈迦様が仏教的真理について語るという形式ですが、
多彩な物語や比喩が取り入れられていて、
読んで楽しく理解の助けにもなる作りになっています。
たとえとして有名なのは次の七つですね。
・三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
・長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)
・三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)
・化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
・衣裏繋珠(えりけいしゅ、五百弟子受記品)
・髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
・良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)
個人的には火宅の喩えが印象に残っています。
「三界はやすきことなく、なお火宅の如し」
我々が生きているこの世は、火事で燃え盛っている建物のようだというのです。
そして我々はそれに気づかずに家の中で夢中に遊んでいる子供であると。
さて、法華経に説かれている内容で大事なのは、
まず、生きとし生けるものすべてに仏になる可能性が開かれているということです。
俗世間を捨てて修行に打ち込まなくとも、またたとえ人間でなくとも、
いつかは仏になれるということです。
仏というのは究極の智慧と慈悲を持つ存在のことですから、
我々がよく使う「成仏」ということばとは仏に成る意味が違います。
まあしかし、そのためには長い長い修行が必要なのでしょう。
法華経には何百億年どころではない長い間修行したなんて話が
平気で出てきますので。
もう一つ大事な内容が、如来としてのお釈迦様は常に存在している、ということです。
お釈迦様=釈尊=ゴータマ・シッダールタは紀元前に既にこの世を去っていますが、
それは肉体を捨てただけであって、実はいつも我々のそばにいらっしゃるのだと。
また、ゴータマ王子というのはこの世での仮の姿であって
実際にははるかな過去にすでに悟りを得て仏となった存在であると。
いつも我々のそばで法を説いてくださっているのだということです。
しかし我々は価値観が顛倒していますのでそれがなかなか聞こえないようなんですね。
そこで必要になるのが瞑想なのでしょう。
瞑想によって、つまらない思考を沈黙させること。
明鏡止水の心を作れば、お釈迦様の言葉はそこに波紋を生み出すのでしょう。
荒海のような心では、お釈迦様の波紋に気づくことはできないのでしょうね。