スピリチュアリズムが輪廻転生を重要な原則の一つとしている
ということは既にお話しました。
ところで、輪廻転生といえば仏教でも説かれている概念です。
日本の仏教は中国を経由する過程で
輪廻転生・生れ変わりという概念を失ってしまいましたが、
お釈迦様(釈尊、ゴータマ・シッダールタ)は
輪廻転生は当然の前提として教えをお多岐になっていました。
しかし、スピリチュアリズムと仏教とでは
輪廻転生の概念はかなり違うようです。
スピリチュアリズムでは輪廻転生は霊の修行のためと
肯定的にとらえられています。
そして「この世」に生まれる必要がなくなるほど
霊性が高まった状態を「解脱」と考えています。
ところが仏教では輪廻転生は一刻も早く逃れるべきものとなっていて、
とても肯定的に説かれているとはいえません。
仏教の輪廻転生はスピリチュアリズムのように「この世」だけの話ではなく
「あの世」も含めた壮大なものになっています。
六道輪廻というやつですね。
六道というのは下から順番に、
地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、人界、天界
という風になっています。
(ちなみに初期仏教では修羅道は出てきません)
仏教でも心の状態を高めていけば、
死後、より良いところに生れ変わると説きます。
人間が天界の最高レベルである梵天(ブラフマー、ブラフマン)に
生れ変わることも可能です。
梵天とは、古代インド思想では最高神とされている存在ですから、
その梵天になるというのは最高の目標でした。
梵天の寿命たるや、最低でも宇宙と同じほどです。
そうなんです。最高神といえど寿命があるんです。
それでお釈迦様は梵天となったとしても十分ではないとお説きになります。
寿命があるからには輪廻転生からは逃れられない。
ということはまたどこに生まれてしまうかわからない。
最悪、地獄に生れ変わる可能性もあります。
だから仏教ではたとえ神になろうともあまり意味はないと説きます。
輪廻転生から解脱しない限りは苦しみは続くと説きます。