飯田史彦さんの「生きがいの創造Ⅲ」が出ていました。
内容はスピリチュアルケアについてです。
スピリチュアルなんて言葉を使うといかがわしいと思う人がいるかもしれませんが、
WHO(世界保健機関)もつかっている言葉なので気にしないでください。
ようするにケアには、
・フィジカルケア(肉体のケア)
・メンタルケア(精神のケア)
があるというのは、これまでの日本で常識だったのですが、
WHOの提言ではそれだけでは足りないということになります。
上記2つのケアでは、例えば不治の病にかかった人に対して、
根本的な安心を与えることができないとうわけです。
2つのケアでも対症療法的なことはできます。
しかしそれは患者当人にとってはごまかしでしかないわけです。
薬を使って痛みを消し、精神を安定させることはできますし必要ですが
それだけでは足りない。
そこでWHOはスピリチュアルケアなんて言葉をわざわざ掲げたのですね。
スピリチュアルケアというのは簡単に言ってしまえば、
「生きる意味への渇望を癒す」ことになると思います。
例えば重度の障害をおって生まれてきたとします。
そしてその人が
「自分は何のために生まれてきたんだ。苦しいだけじゃないか」
という気持ちを抱く確率は高いですよね。
そのときに、
「単なる偶然です。あなたは運が悪かっただけです」
と、これじゃあ苦しんでいる人は救われないわけです。
「いや、これを乗り越えて生きていくのはすごいことなんですよ」
ということもできますが
「なぜ?」
と聞かれたら困ってしまいます。
「なぜすごい?」「なぜ生きることが尊い?」
究極的には答えられません。
なぜなら上記2つによるなら「この世の」知識だけで答えなければならないから。
この世はいつかなくなってしまうものですから。
人間も、地球も、宇宙も。
何をどう言おうと、「この世の」知識だけでは究極の根拠はみつからず、
虚無感だけが漂います。
多くの日本人がニヒルになっています。
しかし、そこへ切り込んでいこうというのがスピリチュアルケアです。
飯田史彦さんは、真理ではなく考え方を提案すると言います。
生きることに意味を見出せる考え方を一人一人が持てるようにと。
そこで展開される理論は飽くまで仮説です。
しかし、相手の知識や信念に応じて最も説得的な仮説を用いていくべきだと説きます。
特定の宗教を信じている人にはそれに合わせて。
多くの現代日本人のように「科学教」を信じている人にはそれに相応しく。
真理ではなく、相手が生きがいを見出せるかどうかが、
スピリチュアルケアの成否を分かちます。
相手に合わせて説くという辺り、仏教の「方便」に通じるものがあります。
誰に対してもスピリチュアルケアを行うことができる人がいるとすれば、
その人はこの世の観音菩薩ですね。