11月29日は尾崎豊の誕生日でしたね。
私はこう見えても尾崎のファンだったのですよ。どう見えてるか知りませんが・・・
中学生の時に尾崎の「卒業」が出てきましたので、
それはもう尾崎直撃世代なわけです。
よりによって青春時代にあの曲に出会ったもんだから、
もうずっぽりはまってしまいました。
最初に知ったのは「卒業」ですが、
友達からテープを借りて(そう、当時はCDなんてなかったんです)ダビングし、
あっというまに「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」の
初期3アルバムを我が脳に吸収してしまいました。
いまでもこの3つのアルバムの歌はほとんど歌詞を憶えています。
しかしなんではまっちゃったんだろ・・・
当時としては、あんなに直接的な表現で、大人に反抗して見せた歌はなかったのでしょう。
それをあのすばらしいメロディに乗せて歌われては田舎のガキなんてひとたまりもなかった。
ちょうど反抗するのがカッコイイと思ってしまうお年頃でしたからね。
まあ、私は反抗からは程遠い「優等生」でしたけど。
さて。
当時反抗することがカッコイイと思われていたのは、
大人がそれなりの力を持っていたからです。
学校の先生だって今と違って生徒を殴っていましたし、
親もそれに対してお礼を言うことすらあったんですね。
暴力に限らず大人はいろんな強制力をもっている。だからそれに反抗するのはカッコイイ。
そう、我々田舎のガキは思ったわけです。
ところが今は大人に力なんてありゃしません。
学校の先生だって、生徒に指一本触れれば訴訟騒ぎになりかねません。
マスコミに袋叩きにされかねません。
だから今の子供は、大人に反抗することをかっこいいとは思わないのじゃないでしょうか。
相手が弱いんだから反抗も何もありませんよね。イジメならあるかもしれんが。
ということで今の時代に尾崎豊が出ても売れないのでしょうね・・・
さて、現在の私は尾崎豊を聴く事はなくなりました。
どうしてもネガティブな歌詞のインパクトが強いからです。
でも落ち着いて聴くと、ポジティブなものもあります。
たとえば「回帰線」に入っている「存在」という曲。あれはいいですね~。
「受け止めよう 眩暈すらする街の影の中
さあもう一度 愛や真心で立ち向かってゆかなければ」