カルマ、「業(ごう)」というと、なんだか怖いもののように思っている人も多いのではないでしょうか?

「業が深い」

なんて言葉もあるくらいですから。

「カルマ」の一般的な意味

ちなみに国語辞書によると「業が深い」とは

「前世の罪深さにより、多くの報いを受けているさま」

となっています。

つまり、カルマとはその人が犯した「罪」であると言っているわけです。

カルマ=罪

でもですね・・・

「カルマ」のもともとの意味

もともと、お釈迦様、釈尊が使っていた「カルマ」という言葉には、そんな意味はありませんでした

もともとはどう意味だったかというと、単に

カルマ=行為

という意味だったんですね。

ある行為をに対して、それにふさわしい結果が生まれる。

行為→結果

という、ごく当たり前の話でした。

まあもちろん、現代人と違って「輪廻転生」は当然のことと考えていますので、前世の行為の結果が今出てくるということも考えられていました。

なぜかネガティブな方へ焦点をあわせるように…

ところがいつのころからか

悪い行為→罰

のように解釈されるようになったと。

なぜか「悪い行為」「罪」にばかり目が行くようになったんですよね。

なにか悪いことがあると、

「前世で犯したカルマへの報いだ」

なんて言われるわけ。

「これまでのカルマを解消するまで苦しみを受け続けなければならない」

なんて言われるわけ。

「逃れられない運命としての罰」

なんて言われるわけです。

原点回帰

でも最近のスピリチュアルな考え方では・・・むしろ昔の、お釈迦様の頃の「カルマ」解釈に戻ってきているようです。

つまり、

悪い行為→罰

ではなく

行為→結果

という、ニュートラルな解釈。

「前世でなにか悪いことをしたから、今生で神から罰を与えられる」
「それは逃れることのできない運命である」

なんて考え方はしない。

そうではなくて、

「自分が原因となって結果を起こす」

という考え方です。

自分が何かしたから、当然の結果として何かが起こる、ということ。

何か超越的な存在が見張っていて、「罰を与える」ということはないんです。

「全て自分で決めて、自分で選んで、現実化している」

これが現在のスピリチュアルな考え方の主流となっています。

「罰」のように思えるとしたらそれは…

もし、何か「罰」と思われるようなことが起こっているとしたら・・・

それも自分で全部決めたことなんです。

まさに現在のカルマ解釈は「引き寄せ」とか「思考は現実化する」という考え方と、矛盾しなくなっているんですね。

「自分で決める、選ぶ」という行為=カルマ

ということです。

だから単純な話、「良い結果」を選べばいいんです。

それを、「前世の罪に対する罰だ」「仕方ないことなんだ」なんて思うから、本当にそれが現実化するんです。

そういう「罪と罰のカルマシステム」を自分で選んでいるというわけ。

そうじゃなくてもう・・・

ここを読んでいるあなたはもう、さんざん苦しい思いをしてきたんじゃないかと思います。こんな記事に出会うくらいだから。

「終わらせる」宣言

でももう、そんな苦しみは終わらせましょう。

「苦しみは十分経験した」
「悲しみも十分経験した」
「恐怖も十分経験した」
「そういうものはもう十分経験してマスターした」
「だからこれ以上、そんなものは不要」
「苦しみも、悲しみも、恐怖もたったいま完全に終わった」
「これからは喜びの人生、本来の人生に戻る」

そう、宣言してしまいましょう。

なぜ「喜びの人生」が「本来の人生」なのかというと・・・

思い出してください。

なぜ「生まれ変わり」「転生」があるのか?

私たちの「魂」はそもそも、「神」から生まれてきたもので、常に「神」とつながっています。

そして「神」の本質は「愛」「喜び」です。

でも、私たちは、いろいろ体験するためにこの世界に生まれてきたので、

苦しみ
悲しみ
恐怖

こんなものも体験してみようかなんて思ってしまったわけです。

まあ日常にたとえて言うなら、悲しい小説を読んだり、ホラー映画を見たり、ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり・・・と、そんなところ。

でももうね。

十分でしょ?

だからもうそんな体験やめましょう

私たちはそもそも「楽しむため」に生まれてきたんですよ。

なんかあの、歌でありましたよね。

「僕らは泣くために生まれてきたわけじゃないよ」
「未来は僕らの手の中」

だからもう、本来の生き方に戻りましょう

これからは、喜びの人生のみを作っていくことにしましょう。

楽しいゲームにしましょう。^^

あ、そうそう。

ところで閻魔大王って?

カルマというと、仏教の「閻魔大王」解釈が面白いです。

閻魔大王というと普通・・・怖い顔してて裁判官みたいなことをする人って、思うんじゃないでしょうか。

「オマエは悪いことをしたから地獄行き!」

なんて決める方。

まさに「罰を与える超越的存在」

でも実は、仏教が説明する閻魔大王って、ちょっと様子が違うんです。

地獄に行こうとする人を見ても、閻魔大王は、

「残念ながら私には、あなたの地獄行きを止めることができない」
「なぜならあなたが自分で地獄行きを選んだから」

なんて言って、悲しい顔をするだけだそうです。^^;

つまりやっぱり・・・地獄行きでさえも自分で選んでいるというわけですね。

やめましょう、やめましょう、そんなことはもう。

 

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